企業が国際的なグループ取引を行う際、移転価格税制への対応は避けられない課題です。移転価格税制への対応に失敗すると、多額の課税リスクや評判の損失、対応コスト増加などのリスクが顕在化する恐れがあります。企業の経理担当者としては、これらのリスクを理解し、移転価格ポリシーの策定や文書化、事前確認(APA)の活用を通じて、適切に対応することが求められます。
この記事では、移転価格税制への対応に失敗した場合のリスクとリスクヘッジの方法について詳しく解説します。
移転価格税制は、国際的なグループ企業間での取引価格が、独立した第三者間の取引価格(独立企業間価格)と同等であることを求める制度です。
移転価格税制に対応するためには、国外関連取引の価格設定を適正に行い、税務当局からの指摘を防ぐことが重要です。移転価格税制への対応に失敗すると、多額の追徴課税や二重課税、新聞報道等による企業の評判低下、対応コストの増加といったリスクが生じます。
これらのリスクを軽減するためには、移転価格ポリシーの策定、移転価格文書の作成と確認、移転価格事前確認(APA)の申請といった対策が必要です。特にAPAは、税務当局と事前に取引価格を確認し、リスクを大幅に減少させる有効な手段ですが、申請には時間と費用がかかるため、専門家の助言を受けつつ対応することが推奨されます。
移転価格税制とは、同一資本に属するグループ企業間で行われる国際取引における取引価格が、第三者との取引価格と同等であることを求める税制のことです。移転価格税制は日本だけでなく、日本企業が日常的に取引を行うほとんどの国で導入されています。
移転価格税制を理解するためのキーワードは、「国外関連者」「国外関連取引」「独立企業間価格」の3つです。おおざっぱに言うと、「国外関連者」とは日本法人との間に50%以上の資本関係がある外国法人を、「国外関連取引」とは日本法人と国外関連者との間で行う資産の譲渡や役務の提供を、「独立企業間価格」とは独立第三者(資本関係のない相手方)との取引において成立する価格をそれぞれ意味します。
「移転価格税制への対応」とは、国外関連取引の取引価格を独立企業間価格の範囲内に収めることです。国際間の取引では、片方の国に利益が偏るような取引価格を設定すると、利益が多く残る国の税務当局は満足するものの、利益がほとんど残らない国の税務当局から厳しい調査を受ける可能性があります。
移転価格税制への対応、つまり国外関連取引における移転価格のコントロールに失敗すると、いずれかの国の税務当局から多額の移転価格課税を受ける可能性があります。国外関連取引の当事者が所在する双方の国の税務当局から指摘を受けるリスクを軽減するためには、適切な取引価格である独立企業間価格で取引を行うことが重要です。
移転価格税制の対応に失敗した場合のリスクとして真っ先に上がるのが課税リスクです。取引当事者のいずれかの企業に移転価格調査が入って問題点が見つかると、多額の追徴課税を受ける可能性があります。日本の税務調査においては、税務調査1件あたりの申告漏れ所得金額は多い年(事務年度)で26.4億円にのぼっています。
参考:令和5年度経済産業省委託事業 移転価格税制の基礎知識
https://www.meti.go.jp/policy/external_economy/toshi/kokusaisozei/itaxseminar2023/02.itenkakaku.pdf
また、移転価格税制の対応に失敗した場合のリスクは課税リスクだけにとどまりません。具体的には、次のようなリスクに晒される可能性があります。
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以下、それぞれのリスクについて解説します。
国内の取引においても国家間の取引においても、二重課税(同一の所得に二重で税金を課すこと)を極力排除するよう制度設計されています。国家間の取引においては、「二重課税の除去」を目的の一つとする租税条約によって二重課税を排除するルールが定められています。
参考:財務省 租税条約に関する資料
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/international/tax_convention/index.htm
移転価格税制における二重課税について簡単な例を挙げて説明します。A国に所在する甲社が、甲社の国外関連者でB国に所在する乙社に製品を35ドルで販売し、乙社はそれをB国の第三者へ50ドルで販売する取引を考えます。
ここで、A国の税務当局が、国外関連取引(甲社と乙社の取引)における取引価格が独立企業間価格に満たず、独立企業間価格は40ドルであるとして甲社に移転価格課税を行うとします。A国とB国の実効税率がともに40%であるとした場合、甲社は40ドルと35ドルの差額である5ドルに40%の税率を乗じた2ドルの追加課税を受ける一方、乙社は50ドルと35ドルの差額である15ドルに40%の税率を乗じた6ドルの税額をすでに既にB国において納付済みであることから、2ドルの二重課税が発生します。
上記の二重課税を排除するための方法として、本来の乙社の税額は50ドルから40ドルを引いた10ドルに40%の税率を乗じた4ドルである一方、すでに6ドルを納付済みであるとして、差額の2ドルをB国税務当局が乙社へ還付する方法が考えられます。この還付を受けることができれば、2ドルの二重課税は解消されます。
このような、取引当事者の一方の所在国の税務当局と取引当事者のもう一方の所在国の税務当局が租税条約に基づいて協議を行い、二重課税を排除する手続きのことを「相互協議」といいます。相互協議は、MAP(Mutual Agreement Procedure)とも呼ばれます。
参考:国税庁ホームページ 相互協議
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/kokusai/map/index.htm
ただし、相互協議が必ずしも期待どおりの結果になるとは限りません。税務当局間の協議がまとまらない場合、国内法による救済手続きを検討することになります。それでも期待した結果が得られない場合、国際間での二重課税が排除されない可能性があります。
税務調査によって多額の課税を受けた場合、その内容が新聞やニュースで報道され、会社のレピュテーション(評判)が低下するリスクがあります。多くの移転価格課税は技術的な観点による見解の相違(たとえば、移転価格算定方法、利益水準指標、比較対象企業の選定方法の違い)に起因するものですが、報道機関は移転価格税制に関する十分な知識を持たない場合も多く、不正確な報道により会社側が「課税逃れ」や「脱税」をしたとされることがあります。その結果、会社の評判が損なわれる可能性があります。
移転価格課税を受けた場合、会社側の対応工数(主に経理部に所属する社員の工数)や税理士・弁護士といった専門家へ支払う報酬が平時と比べて著しく増加するリスクがあります。相互協議と国内法による救済手続きをBig4税理士法人へ依頼すると、報酬額が数千万円単位になることもあるため、フルセットではなく的を絞って対応するケースもしばしば見られます。
ここまで、移転価格税制の対応に失敗した場合のリスクを解説しました。次に、これらのリスクをヘッジするための3つの方法を解説します。
移転価格リスクをヘッジするための方法として、次の3点が挙げられます。
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以下、3点についてそれぞれ解説します。
「移転価格ポリシー」とは、移転価格の管理方法や運用方法を定めた指針のことです。移転価格ポリシーは、「事前の文書化」とも呼ばれるように、国外関連取引が行われる前に策定するものであり、国外関連取引の取引価格はこのポリシーに沿って決定されます。
移転価格ポリシーは税法で定められた書類ではないため記載事項は各社の自由ですが、次の内容を定めることが通常です。
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移転価格ポリシーは一度作って終わりではなく、国外関連取引における各当事者の機能リスクの変化や比較対象企業の利益率水準の変化などを適時に反映させる必要があります。市場環境の変化に敏感でないビジネスにおいても、3年に1回は移転価格ポリシーの見直しを行うべきでしょう。
「移転価格文書」には次のものがあります。
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参考:国税庁 移転価格税制に係る文書化制度(FAQ)
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/kokusai/takokuseki/pdf/04.pdf
移転価格税制に係る文書化の制度は2016年税制改正で整備され、マスターファイルと国別報告書については連結グループ収入が1,000億円以上、ローカルファイルについては一定の少額取引に該当しない取引について、それぞれ文書化が義務付けられました。
移転価格文書は税務当局へ提出または開示することになるため、正しい情報に基づかない文書を作成すると移転価格リスクを増す結果になる反面、これらの文書を正確に作成することによって、移転価格リスクをヘッジすることが可能です。移転価格文書作成にあたって参考となる資料も国税庁から出ていますが、初めて移転価格文書を作成する場合は、国際税務に強い専門家に作成のサポートを依頼することをおすすめします。
参考:国税庁 移転価格税制に係る文書化制度に関する改正のあらまし
https://www.nta.go.jp/publication/pamph/pdf/h28iten-kakaku.pdf
また、国外関連取引の相手方である国外関連者の所在国においても、所在国の税務当局へローカルファイルを提出する義務がある可能性もあります。移転価格リスクをヘッジするためにも、国外関連者が提出しようとしているローカルファイルを事前にチェックし、必要に応じて内容の修正を依頼することを強く推奨します。ローカルファイルをチェックする際は、次の点に着目するとよいでしょう。
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最後のリスクヘッジ方法として、移転価格税制に関する事前確認をご紹介します。移転価格に関する事前確認(APA: Advance Pricing Arrangement)とは、納税者が申し出た国外関連取引に関する独立企業間価格の算定方法等について税務当局が事前に確認を行い、税務当局が認めた場合は申請対象期間中の対象取引について移転価格課税を行わないこととする制度です。
APAを申請するメリットは、移転価格リスクを排除できる点と、申請した取引について移転価格調査及び移転価格課税を受けなくなるため対応にかかる社内工数や専門家費用が発生しなくなる点です。一方、APAの申請にあたっては、申請書類の作成及び審査対応に社内工数や専門家報酬が必要となる点がAPAを申請するデメリットです。
また、APAには取引当事者の一方の国の税務当局にのみ申請を行うユニラテラルAPA(Unilateral APA)と、取引当事者が所在する双方の国の税務当局に申請を行うバイラテラルAPA(Bilateral APA)があります。バイラテラルAPAの場合は相互協議による税務当局間の合意を得ることから原則として二重課税リスクの完全な排除が可能ですが、税務当局間の合意を得るためには長い時間と多額の専門家費用が必要です。一方、ユニラテラルAPAの場合は片方の税務当局のみへの申請であるためバイラテラルAPAに比べると時間も専門家費用も少なくて済みますが、申請しなかった国における課税リスクは回避できません。
ユニラテラルAPAとバイラテラルAPAのどちらを選択するかは、取引の金額規模や取引当事者が所在する国の特性を鑑みて判断します。専門家のアドバイスを受けながら、企業グループのリスク対応方針に沿って検討するとよいでしょう。
以上、移転価格税制への対応に失敗した場合のリスクについて、リスクヘッジの方法にも触れながら解説しました。
移転価格税制への対応に失敗して移転価格リスクが顕在化すると、多額の追徴課税や新聞報道等による企業の評判低下といった事象に発展する可能性があります。
移転価格税制による課税リスクをヘッジするためには、移転価格ポリシーの策定、移転価格文書の作成と確認、移転価格事前確認(APA)の申請といった対策が必要です。特にAPAは、税務当局と事前に取引価格を確認し、リスクを大幅に減少させる有効な手段ですが、申請には時間と費用がかかるため、専門家の助言を受けながら適切に対応するとよいでしょう。