この記事では、「経営している会社を数年後に子どもへ引き継がせたいと思っている。今から準備すべきことがあれば教えてほしい」という方や、「事業承継税制という税制の適用を受ければ税金の納付を先延ばしにできると聞いたが本当?」という疑問をお持ちの方向けに、事業承継税制について税理士が基礎からわかりやすく解説します。
贈与や相続によって自社株式や個人事業用資産を後継者に承継させる場合、これらの資産を取得した後継者に多額の贈与税または相続税の負担が生じるケースもあります。
この点、事業承継税制の適用を受ければ、事業承継時における後継者の税負担を大幅に減らすことができるようになります。ただし、法人版事業承継税制のうち特例措置と個人版事業承継税制の適用を受けたい場合は、事前に承継計画を策定し、税理士などからその計画に対する指導と助言を受けた上で、期限(法人の場合も個人の場合も2024年3月末)までに都道府県庁へ提出しないとこれらの適用を受けることができなくなる点に注意が必要です。特に自社株式を後継者に承継させようと考えている先代経営者の方は、可能な限り早めに準備することをおすすめします。
なお、事業承継税制によって納税猶予を受ける場合は、納税猶予を受けた後も一定の手続きが必要です。これらの手続きを怠った場合や、事業承継税制の目的から逸脱した行為(たとえば納税猶予を受けている自社株式を売却する)があった場合は納税猶予が取り消される点には注意が必要です。
事業承継税制について解説する前に、事業承継の方法と課税関係について、次のケースを元に紹介します。
30年前、甲氏(70歳)は1,000万円の自己資金を元手にA株式会社を設立した(株主は甲氏のみ) 甲氏は、甲氏の息子である乙氏(35歳)を事業の後継者とし、A株式会社の株式(以下、「A社株式」といいます)を乙氏に承継させようとしている A社株式の承継時点における適正な価額と相続税評価額はともに1億円である |
A社株式を乙氏に承継させる方法ごとの課税関係は次のとおりです。
方法 | 課税関係 | |
甲氏 | 乙氏 | |
乙氏にA社株式を売却する | 譲渡所得に対して所得税・住民税が課税される | 原則として課税関係は生じない |
乙氏にA社株式を贈与する | 課税関係は生じない | 贈与税が課税される |
乙氏にA社株式を相続させる | 課税関係は生じない | 相続税が課税される |
まず売却の場合は、売主である甲氏に所得税と住民税の税負担が生じる一方、買主である乙氏に課税関係は生じないのが原則です。ただ、対価として乙氏から甲氏へ支払われる金額がA社株式の時価(1億円)よりも著しく低い場合は、乙氏に贈与税が課税される可能性もあります。
贈与税は「財産をもらった人」に課税される税金ですが、時価よりも著しく低い対価で財産を売ってもらったときは、「売主から時価と対価の差額分だけ金銭をもらった」ものとして贈与税を課税されることがあります。たとえば乙氏の支払った対価が1,000万円だった場合、乙氏は時価1億円のものを1,000万円で取得したことになるので、時価と対価の差額である9,000万円を基礎に計算した贈与税が乙氏に課税されます。
次に贈与の場合は、贈与者である甲氏に課税関係は生じませんが、受贈者である乙氏に対して贈与税が課税されます。
最後に相続の場合は、被相続人である甲氏に課税関係は生じませんが、財産を取得した相続人である乙氏に対して相続税が課税されます。なお、乙氏が遺贈(遺言による贈与)または死因贈与(贈与者の死亡によって効力を生じる贈与)によってA社株式を取得した場合も、相続によって取得したときと同じく相続税が課税されます(以下、相続、遺贈、死因贈与を単に「相続」といいます)。
なお、先代が営んでいた事業を後継者に承継する際、代表者の地位のみを後継者に譲り、自社株は先代が所有し続けるケースもあります。そうした場合は、単なる代表者の変更ですので、これについて贈与税、相続税、所得税といった税金は生じません(代表者変更登記申請の費用は必要です)。
事業承継税制の効果を確認するために、先のケースで事業承継税制の適用を受けなかった場合において後継者である乙氏が負担することになる贈与税の金額や相続税の金額を計算してみましょう。
(1)贈与の場合
まずは乙氏が贈与によりA社株式を取得した場合における贈与税の金額を計算します。贈与税額の計算方法は次の2種類があります。
暦年課税(原則の方法) 相続時精算課税制度の適用を受けた場合の課税(特例の方法) |
暦年課税は、その年に贈与を受けた贈与財産の価額から基礎控除額である110万円を引いた金額に贈与税率を乗じて贈与税額を計算する方法です。贈与税率は、原則の税率と特例の税率(直系尊属(祖父母や父母など)から成人している者(子・孫など)への贈与税の計算に適用される税率)の2つがあります。
上記のケースの場合は、甲氏から35歳の息子である乙氏への贈与であるため、特例の税率が適用されます。乙氏が甲氏から贈与を受ける財産がA社株式以外にないとした場合において乙氏に課税される具体的な贈与税額は約4,800万円であり、乙氏はこの金額をA社株式の贈与を受けた年の翌年3月15日までに原則として一括で納付する必要があります。
一方、相続時精算課税制度の適用を受けた場合は、贈与財産の価額から特別控除額である2,500万円を引いた金額に20%の税率を乗じて贈与税額を計算します(乙氏が甲氏から贈与を受ける財産はA社株式以外にないものとします)。この場合、乙氏に課税される贈与税額は1,500万円であり、乙氏はこの金額をA社株式の贈与を受けた年の翌年3月15日までに原則として一括で納付する必要があります。
なお、相続時精算課税制度の適用を受けた場合は、贈与者の相続が発生したときに、相続時精算課税を適用して贈与を受けた財産を相続財産に加算して相続税額の計算(精算)を行う必要があります。
(2)相続の場合
次に、乙氏が相続によりA社株式を取得した場合における相続税の金額を計算します(相続財産はA社株式以外にないものとします)。相続人が一人の場合における相続税額は、相続財産の相続税評価額から基礎控除額(3,600万円)を引いた金額に相続税率を乗じて計算します。なお、相続税の基礎控除額は、600万円に法定相続人の人数を乗じた金額と3,000万円の合計額であり、法定相続人の人数が1人の場合は3,600万円、2人の場合は4,200万円となります。
乙氏が取得したA社株式の相続税評価額は1億円ですから、1億円から3,600万円を引いた6,400万円に相続税率を乗じて計算した金額である1,220万円が乙氏に課税される相続税額です。乙氏は、この金額を甲氏が死亡した日の翌日から10ヶ月以内に原則として一括で納付する必要があります。
以上、A社株式を贈与または相続により取得したことで乙氏が支払うべき贈与税額や相続税額を紹介しました。乙氏が受ける税負担の重さに驚かれた方もいるのではないでしょうか。
乙氏が豊富な余剰資金を持っていれば期限内に税金を納付できるでしょうが、乙氏のような年齢で1,000万円を超える余剰資金を持っている人はさほど多くないと思われます。贈与税や相続税が現金一括で納付できない場合は、現金の代わりに不動産や有価証券で納付する「物納」という制度や、税金を分割払いする「延納」という制度の適用を受けることも可能です。ただし、「物納」には自宅や有価証券を失ってしまうデメリットがあり、税金の分割払いには多額の「借金」を背負うデメリットがあるため、後継者としてはどちらも選択しづらい面がありました。
そのため、充分な納税資金を持たず、物納や延納の制度の適用を受けるデメリットも許容できない後継者が、先代から取得した自社株式を第三者に売却したり、買ってくれる人がいなければそのまま会社を廃業したりする事象が多く見られました。
こうした状況を放置すると、地方の経済や雇用を下支えする中小企業の数がどんどん減少し、地方経済の衰退が加速してしまいます。そこで国は、円滑な事業承継をバックアップするため、「中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律」を成立させました(以下、この法律を「経営承継円滑化法」といいます)。経営承継円滑化法は2008年10月に施行された法律で、大きく分けて次のパートから構成されています。
①税制支援(事業承継税制) ②金融支援(日本政策金融公庫法等の特例など) ③遺留分に関する民法の特例 |
以下では、経営承継円滑化法の税制支援パートである事業承継税制について解説します。
事業承継税制とは、中小企業や個人事業の円滑な事業承継を目的とした税制です。事業承継税制には、中小企業の承継を目的とした「法人版事業承継税制」と、個人事業の承継を目的とした「個人版事業承継税制」の2つがあります。更に、法人版事業承継税制には税制導入当時からある「一般措置」と、2018年度税制改正で導入された「特例措置」があります。
事業承継税制の適用を受けるまでの流れは次のとおりです。
①特例承継計画または個人事業承継計画を都道府県庁へ提出して都道府県知事の確認を受ける(法人版事業承継税制の一般措置の場合は不要) ②後継者に自社株式または事業用資産を贈与する、または後継者がこれらの資産を相続により取得する ③後継者が経営承継円滑化法による認定申請書を都道府県庁へ提出して都道府県知事の認定を受ける ④贈与税または相続税の申告書に都道府県知事から交付された認定書等を添付して税務署へ提出する |
実務上大変なのは③と④の段階です。③も④も税金に関する専門知識が必要なので、税理士や税理士法人に作業を依頼する方がほとんどです。
事業承継税制の対象と効果を次の表にまとめました。
法人版事業承継税制 | 個人版事業承継税制 | ||
一般措置 | 特例措置 | ||
対象 | 中小法人 | 個人事業 | |
事前の計画策定 | 不要 | 必要 (特例承継計画) | 必要 (個人事業承継計画) |
計画提出期限 | - | 2024年3月31日まで | 2024年3月31日まで |
適用期限 | なし | 2027年12月31日までの贈与 又は相続 | 2028年12月31日までの贈与 又は相続 |
税制対象資産 | 非上場株式等(自社株式) | 特定事業用資産 | |
対象株数 | 総株式の3分の2まで | 全株式 | - |
納税猶予割合 | 贈与:100% 相続:80% | 100% | 100% |
雇用確保要件 | あり(平均8割の維持要) | あり(弾力化) | なし |
経営環境の変化に対応した減免 | なし | あり | あり |
このうち、法人版事業承継税制のうち特例措置と個人版事業承継税制は適用要件や効果が似通っています。相続の場合であっても納税が100%猶予される点は強力なメリットですが、事前に承継計画を策定して、認定を受けた税理士などの認定経営革新等支援機関による指導と助言を受けた上で、期限までに主たる事務所のある都道府県庁へ提出しないとこれらの適用を受けることができなくなる点は注意が必要です。提出期限は、法人の場合は2023年3月末、個人の場合は2024年3月末でしたが、令和4年度税制改正大綱に法人の提出期限が1年延長されることが示されたため、所要の法改正がされたあとの提出期限は法人も個人も同じ2024年3月末です。
また、法人版事業承継税制には一般措置と特例措置の2つの措置がありますが、ほとんどの場合で特例措置の方が一般措置よりも優れているため、特例措置の適用を受ける前提で考えることをおすすめします。
なお、個人版事業承継税制における「特定事業用資産」とは、個人事業用の事務所や工場などの建物とその敷地(面積制限あり)と、機械装置や厨房機器といった減価償却資産です。事業用資産であっても、売掛金や現預金、商品などは個人版事業承継税制の対象外ですのでご注意ください。
先に紹介した乙氏のケースで、法人版事業承継税制(特例措置)の適用を受けない場合と受けた場合とで、申告期限までに乙氏が納付すべき税額は次のように変わります。
適用を受けない | 適用を受ける(特例措置) | |
贈与(暦年課税) | 約4,800万円 | 0円 |
贈与(相続時精算課税) | 1,500万円 | 0円 |
相続 | 1,220万円 | 0円 |
つまり、法人版事業承継税制(特例措置)の要件さえ満たせば、乙氏は贈与税または相続税の申告期限までにこれらの税金を支払うことなくA社株式を承継することができるようになります。これであれば乙氏も安心してA社の経営を引き継ぐことができるのではないでしょうか。
なお、「乙氏は贈与税または相続税の申告期限までにこれらの税金を支払うことなく」という点について、乙氏はこの時点でこれらの税金の納付を免除されたわけではなく、あくまでも「支払猶予を受けている」に過ぎません。そして、都道府県・税務署への定期報告を怠ったり、事業承継税制の目的を逸脱した行為が見られたりした場合などは、経営承継円滑化法に基づく都道府県知事による認定が取り消され、猶予されていた税金と利息に相当する利子税を一定期限までに支払う義務が発生します。
この記事の最後に、事業承継税制の適用を受ける場合に気をつけたいこととして、納税猶予後に必要な対応と納税猶予が取り消される場合について解説します。
納税猶予を受けたあとも、下表のとおり、法人版事業承継税制の場合は都道府県と税務署へ、個人版事業承継税制の場合は税務署へ、一定の頻度で報告書や届出書の提出が必要です。
対象 | 都道府県 | 税務署への提出 | |
法人版 | 納税猶予を受けてから原則5年間 | 年次報告書に一定の書類を添付して主たる事務所の所在する都道府県庁へ毎年提出する | 継続届出書に一定の書類を添付して所轄の税務署へ毎年提出する |
上記以降 | なし | 継続届出書に一定の書類を添付して所轄の税務署へ3年ごとに提出する | |
個人版 | - | なし | 継続届出書に一定の書類を添付して所轄の税務署へ3年ごとに提出する |
特に法人版事業承継税制による納税猶予を受けてから5年経過した後に行うべき継続届出書の提出は、提出頻度が「毎年」ではなく「3年に一度」になることや、都道府県への提出が不要となることが原因でつい忘れてしまいがちですのでご注意ください。届出の提出を失念してしまった場合は、その時点で納税猶予を受けていた税金の支払い義務が生じます。
先に解説したとおり、都道府県や税務署への報告を怠ったり事業承継税制の目的から逸脱した行為が見られたりした場合などは、納税猶予が取り消され、納付が猶予されていた税金と利子税を一定期限までに支払う義務が発生します。
「事業承継税制の目的を逸脱した行為」について、納税猶予が取り消されるのは以下のような場合です。
対象 | 取消理由 |
法人版 | 自社株式を譲渡した場合 後継者が会社の代表権を有しなくなった場合(納税猶予を受けてから原則5年が経過したあとは除く) 会社が資産保有型会社(特定資産の帳簿価額が資産の帳簿価額総額の70%以上である会社)、資産運用型会社(特定資産の運用収入が総収入額の75%以上である会社)、または性風俗関連特殊営業のいずれかに該当した場合。なお、「特定資産」とは現預金、有価証券、事務所・工場・従業員社宅以外の不動産、絵画、貴金属、ゴルフ会員権などの資産のことをいいます(以下同じ) 雇用の平均が「贈与時の8割」を下回った場合(一般措置のみ)など |
個人版 | 事業を廃止した場合 資産保有型事業、資産運用型事業、または性風俗関連特殊営業のいずれかに該当した場合 事業承継税制の特例を受けた資産に係る事業の総収入金額が0円になった場合 青色申告の承認が取り消された場合 事業承継税制の適用を受けた事業用資産を譲渡したり廃棄したりした場合(税務署への書類提出や税務署長の承認を受けた場合は除く)など |
これらのうち、法人版の「後継者が会社の代表権を有しなくなった場合」や、個人版の「事業承継税制適用を受けた事業用資産を税務署への届出を行わずに破棄した場合」は見落としがちな取り消し事由ですので、思わぬところで取り消しのトリガーを引いてしまわないよう、十分な注意が必要です。
以上、事業承継税制について、適用を受けることによる効果や手続き、注意点などについて解説しました。
事業承継税制は上手に使えば非常にメリットの大きい税制ですが、納税猶予を受けた後にも手続きが必要である点や、一定の事由に該当した場合はその時点で納税猶予が取り消される可能性がある点に留意が必要です。
「近いうちに後継者へ事業承継しようと思っているが何をすればよいか分からない」という方は、ぜひ一度お近くの税理士にご相談することをおすすめします。税理士に依頼すれば、法人版事業承継税制(特例措置)や個人版事業承継税制の適用を受けるのに必要な計画の策定から、都道府県庁への経営承継円滑化法に基づく認定申請、贈与税や相続税の申告書作成、納税猶予後の手続きに至るまでのトータルサポートを受けることが可能です。